BMW R1200RT100thとおんぶセローでバイクライフを楽しむ SAMとhideのぶらぶら日記


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カテゴリ:幕末維新を訪ねる( 23 )

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悲劇の天誅組を追って明治維新さきがけの地へ 壊滅の東吉野村へ




五条を離れ吉野の山中天辻峠へと南下した天誅組は、

この地方きっての富豪であり有力者であった

「鶴屋治兵衛」宅を本陣とする。


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村人はウエルカムで迎えたというわけでもなさそうで、

当初は、「峠を下った集落の方がよろしい」と勧めている。

静かな集落に物騒なこと、そりゃ迷惑至極な話ですもの。




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その後、挙兵の大義名分を失った天誅組は「暴徒」とされ

追討を受ける身となり追い詰められていく。





と その前に腹ごしらえ。



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道の駅吉野路大塔の筋向いにある

「大塔村郷土館」で昼食を取ることにした。



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いただいたのは茶粥。


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出て来て慌てた精進料理。(メニュー写真で確認はしてたけど)

12時に頂いて2時にはお腹が空いた^^;



「大塔村郷土館」を後に向かったのは東吉野村。




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天の辻を放棄した天誅組は吉野の山中を敗走し散り散りになり戦死。


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総裁吉村寅太郎も重傷を負い、

ここ東吉野村にて小屋に隠れていたところを発見され銃殺され、

天誅組は壊滅する。




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吉村寅太郎が埋葬されたと伝わる場所に記念碑が建つ。

その背後に「残念岩」と呼ばれる巨岩がある。

吉村の最後の言葉は「残念」だったと伝わる。


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ウィキペディアより




明治維新に先駆けること5年。

「天」に代わって幕府を討とうと挙兵したが、それは少し早すぎた。


吉村は世話になった村人に、携帯用の陣中箸や肌襦袢を贈った、

それは今も家宝として伝えられているそうだ。

後に彼らは「義士」として評価されることになる。



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by power-shoes | 2018-09-30 20:59 | 幕末維新を訪ねる | Trackback

悲劇の天誅組を追って明治維新さきがけの地へ 奈良県五條市




明治維新に先駆けること5年、大和で武装蜂起したのが天誅組だ。

尊王攘夷派の志士らは「天」に代わって幕府を討とうと挙兵したのだ。

しかし、それは少し早すぎた。

諸藩の軍に阻まれ、孤立無援の彼らは吉野の山中に敗走。

「逆賊」とされ、悲惨な末路をたどることとなった。

読売新聞「維新の記憶」より



1863年8月(ペリー来航10年後、大政奉還の5年前)

孝明天皇が奈良へと外出されると決まり、これを先駆けに

諸藩を討幕へと導こうと公家の中山忠光を大将に据え、

吉村寅太郎の指揮のもと天誅組が蜂起した。



8月14日、土佐藩浪士を中心に約40名で京都を出発した天誅組は、

淀川を下り堺のこの地に上陸する。



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くしくもこの地は後に発生する堺事件の現場と同じくする。



堺からは陸路で奈良県五條市に入り、五條代官所を襲った。



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代官所跡には五條市役所が建つ。


日曜日だったが職員が丁寧にパンフレットなどを用意してくれた。

(ありがとうございました)


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本陣はすぐ近くの桜井寺に置いた。



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代官鈴木正信の首を洗ったとされる水鉢が残る。


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この年の年貢を半減することを宣言した天誅組は

さらに勢いを増すべく近隣諸藩を巻き込もうとしたのだが、

勢いはここまで。



京都で政変が起こり、孝明天皇の奈良行は中止となり

天誅組は大義を失ってしまう。



電話・メールの現代ならいざ知らず、

いかんせん人が動かなければ情報が伝わらない当時、

加えて思いとどまるようにと京都が送った使者平野国臣が

天誅組に同調してしまってはどうしようもない。

今更後に引けなくなってしまった彼らは「逆賊」となり

幕府に追いつめられることになる。



その後天誅組は五条を離れ南下、吉野の山中天辻峠へと本陣を移した。



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車で向かうにもなかなかに山深い道。そのまま南下すると

谷瀬のつり橋・十津川村・熊野本宮大社へと続くR168。

当時の山道を峠に向かって太鼓を鳴らし進軍する彼らの胸中やいかに。

孤立無援の天誅組の悲劇はこの後加速していく。


つづく



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by power-shoes | 2018-09-25 21:31 | 幕末維新を訪ねる | Trackback

桑名観光「七里の渡し」、締めはやっぱりスイーツだな






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この日は桑名市博物館で「戊辰戦争と桑名藩」展が開催中、

これは見ないとだめでしょと訪問した。



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桑名藩の立場から戊辰戦争を詳しく紹介していてとても

興味深いものだった。(今風に言うとスピンオフかな?)




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桑名と言えば「焼きハマグリ」と言うことで、マンホールは蛤。



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そして次なる観光史跡はここ「七里の渡し」



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京都三条大橋から江戸日本橋に続くで唯一海路があった、

それが桑名宿から宮宿(愛知県熱田区)の間。



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この間が七里あったと言うことで渡船場を「七里の渡し」と呼んだ。

ちなみに、所要時間は約4時間だったそうだ。



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その七里の渡しのそばに立つのが蟠龍櫓(ばんりゅうやぐら)。

桑名のシンボルともいうべき櫓で、

かつては東海道を行き交う人々が必ず目にしていた。

(昔は左側の堤防は無かった)

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安藤広重の有名な浮世絵『東海道五十三次』でも、海上の名城と

うたわれた桑名を表すためにこの櫓を象徴的に描いている。


うだるような暑さの中で桑名史跡巡りを終え、普通だったらかき氷・

ソフトクリームへの展開が一般的なんだろうけど、

天邪鬼にとってはやっぱり温かい飲み物とケーキなんだな。

と言うことで「桑名」「スイーツ」を検索 

入店したのは「ドゥクール ショコラ」さん。




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ここのオーナー“絶対車好き”がケーキの商品名や

店内のディスプレーから感じ取れる。



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ケーキ名 「ジョンクーパー」「ガヤルド」「トライアンフ」

「エリーゼ」「オ-スチン」などなど。



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ちなみいただいたこのケーキは「アルピーヌ」(A110が憧れだから)

紅茶を注文したら、種類が多すぎて分からなく、

店員さんにお勧めで決めてもらった^^;


隣の席では熟年ライダーさん4人のバイク談義に花が咲いていた。 

勿論ほくそ笑みながらこっそり聞いていた。



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ドアノブは本物のスパナ。




グルメ、幕末維新、歴史観光そして仕上げのスイーツ。

満喫・満腹の灼熱の一日だった。




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by power-shoes | 2018-09-07 21:07 | 幕末維新を訪ねる | Trackback

大トロ丼と桑名城址





大トロ丼でスタートしたこの日(7月21日)


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久しぶりに四日市市の大遠会館にて11時過ぎ早めの昼食。

入店前は中トロ丼と決めていたのに、レジ前のサンプル写真、

大トロ丼はアカンと決めているのに負けた。

([天一]でこってりはアカンと分かってんのにこってりを注文して
しまい、途中で気持ち悪くなって後悔するやつ。)

結果、やっぱり後悔した。

大トロはせいぜい三切れくらいで十分だな。



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四日市市を後に北上、向かったのは桑名市。

幕末の歴史に翻弄された桑名藩の居城を訪れた。

揖斐川に面し、自然の要害を利用した平城(水城)で、

徳川四天王の一人本田忠勝が初代藩主。



この日は今年の夏の例にもれず危険な暑さだった。

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猫さんいいとこで涼をとっていました。



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1640年ころの縄張り、

揖斐川から引き込んだ水が濠を満たしている。


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当時は櫓や門などの建造物が100程あったそうだが、

市中の大火で天守を含め多くが焼失し復元されることなく

現在では全く残っていない。


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この天守台は復元されたそれらしきもので当時のものではない。




禁門の変(蛤御門の変)で

兄の会津若松藩主・京都守護職松平容保(柏原収史)と共に

長州藩兵と戦った松平定敬(さだあき)。しかし、徳川幕府に

見切りをつけた薩摩藩が長州藩と薩長同盟を結び、その後

力を失う幕府と運命を共にした桑名藩は兄の容保(会津若松藩)と

共に戊辰戦争へと突入、最後は賊軍として悲運の道をたどる

こととなる。



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鳥羽・伏見の戦いに敗れ桑名藩は、新政府軍に対し恭順の意を示すため、

それまで天守代わりに使用していた辰巳櫓を焼き払い

開城の証としている。


ちなみに、この時、

藩主の松平定敬は江戸に逃げ帰った徳川慶喜(松田翔太)の

お供で江戸におり、藩主不在の桑名城では抗戦か恭順か激論となり、

あろうことかくじで抗戦と決定した。

しかし、下級藩士の猛反発にあい、結局は無血開城している。

上層部のくじ決定は何だったのか?



この後、桑名市博物館へ殺人的猛暑の中を歩く。




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by power-shoes | 2018-09-04 20:58 | 幕末維新を訪ねる | Trackback

維新の記憶はここから始まる




明治維新150年の今年。

日本の夜明けを少しは知るべく参考書の一冊にしているのが、

読売新聞大阪本社発行「維新の記憶」




この冊の一項目は「1867年 大政奉還」、

二項目は「1853年 ペリー来航」、

そして三項目が「1838年 適塾を開く」とつづく。

印象的な二ページの後、

この適塾の記事からほぼ年代を追ってこの冊子は進んでいく。

その適塾へ行ってきた、9月2日日曜日。




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午前中適塾、午後大阪歴史博物館で「西郷どん」展、

大阪城で100名城のスタンプだけポンの予定で出かけた。




緒方洪庵が開いた私塾「適塾」、蘭学(医学)を教えた学校だった。

塾生には、福井藩主松平春嶽(津田寛治)を支えた橋本佐内(風間俊介)

日本陸軍の実質関創始者、大村益次郎(林家正蔵)、

明治を代表する教育者、福沢諭吉、などが名を連ねる。



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適塾の二階大部屋。柱には塾生がつけた刀傷が残る。


太平洋戦争の戦火も奇跡的に逃れ、

幾度の改修も当時の建物をそのままに残す適塾。



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音声ガイド案内で「こってり」教えてもらって 大満足。

(音声ガイド(無料)の使用は良かった。読めない漢字もすらすら

 読んでくれて分かりやすかった。)


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これは一見の価値ありの「適塾」に時のたつのを忘れた。



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そのあと、大阪歴史博物館へと向かったが、駐輪所が無い!

教えてもらった谷町4の駐輪所は自転車と50ccまで。

セローですら駐輪が出来ない都会事情に午後の部を断念して

早めの帰路となった。

今に歴史と形を残す貴重な財産 適塾  やっと、行ってよかった。 




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by power-shoes | 2018-09-02 19:47 | 幕末維新を訪ねる | Trackback

「天狗党」和田峠と道の駅スタンプ「ポン」




「宮乃前」さんで美味しくお蕎麦をいただいて

下諏訪を後にし向かったのは中山道和田峠。

多くの歴史が行きかった和田峠 その歴史の一つに天狗党の乱がある。



1864年、

水戸藩において尊王攘夷派により結成された「天狗党」は、

一ツ橋慶喜(松田翔太)

(のちの十五代将軍徳川慶喜・第九代水戸藩主の七男)

の力を借りようと1000名あまりの大部隊を編成し、

京都をめざして中山道を西上する。



しかし、幕府の反感を買い、道中の諸藩と交戦することになる。

ここ和田峠においても11月20日、諏訪・松本藩両藩と交戦し、

天狗党は10人の戦死者を出した。



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その和田峠に向かう途中、死者を埋めていった場所に浪人塚がたつ。


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その後、京へ向かい岐阜県各務原まで進軍するが抵抗にあい、

北陸へと向かい敦賀にて投降し、天狗党の進軍は

「幕末最大の悲劇」で終止符を打つことになる。

(1864年京都では7月池田屋事件、8月禁門の変が起こっている。)






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旧和田峠トンネルを抜けビーナスラインを北上し、


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バイクを止めたのは「三峰大展望台」


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美ヶ原へ向かう途中何度もこの前を走り抜けたが

一度も立ち寄ることのなかった展望台。



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いいお天気だったのでさぞ美ヶ原は素敵なことだろうとは思ったが、




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思い出が濃すぎてここにて引き返し 中山道を小諸へと向かう。




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そうそう、向かう道中でここに寄ったんだ。


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BMW motorrad道の駅スタンプラリーポイント、

道の駅たてしな ここで8個目

7月14日、この日は実にバラエティーに富んだ長い一日、

この後まだ4か所に立ち寄ることになる。


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そして小諸城址でチョットいいことする^^






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by power-shoes | 2018-08-27 20:34 | 幕末維新を訪ねる | Trackback

赤報隊「魁塚」と諏訪で蕎麦なら私はここ



7月14日

天気予報は危険な暑さですよとは言ってるけど、

信州なら少しは涼しいだろうと中央道を諏訪に向かった。



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出発から約2時間 一回目の休憩は屏風岩PA

暑さにも負けず、元気なライダー多し。





中央道から長野道に入ってすぐ岡谷ICで下道へ。

そこから諏訪大社下社へ向かって一本道を東へ。

下社春宮を北に、下社秋宮を東にほぼ同距離に見たところに

今回の目的地 「魁塚」(さきがけづか)がある。



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1868年1月3日、鳥羽伏見の戦いで勝利した新政府軍は 

1月8日倒幕の先鋒として「赤報隊」を結成する。

西郷隆盛(鈴木亮平)、岩倉具視(鶴瓶)の支援を受けた赤報隊は

年貢半額を宣伝し反幕府の民意をあおり、一揆をたきつけた。

しかし、その後 新政府軍は方針を転換、年貢半額も撤回し

赤報隊に京都への帰還を命ずる。

ところが、隊長の相楽総三はそれに従わず、結局「偽官軍」の

レッテルを張られ進軍先の下諏訪にて3月 

相楽総三ら幹部8名が処刑される。



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その処刑場、中山道沿いにたつ「魁塚」。

処刑された8人の名前が刻まれている。

浪人が出世するために手柄をの思いと、

「新しい日本の為に」というまっすぐな気持ちを

持っていたであろう赤報隊。

しかし、新政府からすれば、最前線で戦わして盾になってもらう

「使い捨て」だったのだろう。

(小説「夜明け前」では、彼らの命乞いを申し出たが

聞き入れてもらえなかったと書いてあった。)




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ちょうどお昼時、諏訪で蕎麦なら私はここと決めている。

(今のとこは^^


諏訪大社下社春宮前、その名も宮乃前。



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もし何も知らないでのれんをくぐったとしたなら、

「しまった~」と思ってしまいそうな飾り気のない店内。



ところがその価格、量、お味、気楽さに私は気に入ってしまった、

私は。

この暑さにクーラーなく、強烈に回る扇風機の風を受け

いただいたお蕎麦。 冷やしおろしきのこそば 550円也。





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和田峠経由 上田へと向かう。






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by power-shoes | 2018-08-23 21:56 | 幕末維新を訪ねる | Trackback

もう一つの寺田屋事件 「寺田屋騒動」




1866年、

伏見奉行による坂本龍馬襲撃事件の4年前にも寺田屋事件は起きていた。


1862年、

薩摩藩の尊皇派志士の鎮撫事件がそれ。

竜馬の事件と区別するため寺田屋騒動とも言われている。

約2ケ月前にNHK大河ドラマ「西郷どん」

第23回で放映された凄惨な事件。


寺田屋に集まった「徳川幕府を倒すぞ!」という

血の気の多い連中(倒幕派)に

まあまあ待て落ち着けとなだめに行った仲間とが切り合った事件。


薩摩藩の同士討ちにより、

有馬新七ら九人の尊い命が散った寺田屋騒動。

その九人を弔ったお寺、京都大黒寺を訪れた。


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墓地に入ると、横一直線に等間隔で9つのお墓が並んでいる。



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西郷隆盛が建てたとされるお墓。

墓石に刻まれた文字も西郷隆盛が書いたものとか。


一番右端にあるお墓が、

寺田屋事件の重要人物の有馬新七(増田修一朗)のもの。

「おいごと刺せ」と命じ、なだめに来た藩士と共に刺し抜かれ

絶命した人物。  ドラマでも胸痛むシーンだった。



彼らは藩への反逆者として薩摩藩の菩提寺には弔ってもらえなかった。

ちなみに彼らの名誉は約30年後の明治24年 

政府より勲章を贈られ回復する。




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大黒寺を後に次なる目的地 RSタイチに向かう途中のこんな景色。

京都と言えばで映画やドラマの撮影によく使われる酒蔵。

京都を象徴するワンカット。




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by power-shoes | 2018-08-06 20:57 | 幕末維新を訪ねる | Trackback

寺田屋事件 竜馬逃走の足跡を訪ねて



1866年 京都伏見の寺田屋において、

坂本竜馬は伏見奉行の捕り方に囲まれ手に傷を負いながら

二階から屋根伝いに逃げ伏見薩摩藩邸にかくまわれた。

その逃走の足跡を訪問した。




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ということで一応寺田屋訪問。

但し、

寺田屋騒動、寺田屋事件の舞台となった寺田屋は鳥羽・伏見の戦い時に

焼失していて、この建物は明治38年に登記されたもので、有名な

風呂や階段があることから観光用として建てられたのではないかと思う。

だとすればそれはそれで先見の明ありと言うことになるが。



寺田屋から辛くも脱出した竜馬は路地を走り、材木小屋に隠れた。



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材木小屋址の石碑と説明プレートがあるが正式にはこの場所ではなく

もう少し南の東岸だったということでしばし川岸を歩いて見たが

それらしいものは見つからなかった。



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竜馬がしばらくその材木小屋に隠れている間に

護衛のやりの名手三吉慎蔵が伏見薩摩藩邸に助けを求め、

川船で竜馬を救出、藩邸にかくまわれて九死に一生を得たのだった。






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伏見薩摩藩邸、今では面影すら残っていない。



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正式な逃走経路ははっきりしていない。



暗闇の中(夜中の2時半頃)血を流し生きるか死ぬかの逃走劇、

当時の面影を残す民家や路地や水路が多く残るここ伏見は

往時にイメージスリップしやすい。

この道を竜馬が血を流し必死に走り、息をひそめ、

この川を船で登ったのか。

深夜の訪問だったらもっと臨場感あったかな。




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さて 間もなくランチタイム。

本日は激辛の町向日市へと向かう。



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激辛商店街の登りの上がる向日市に数ある激辛店から選んだここ。



11時30分にもかかわらず店内満席。

にもかかわらず名前を書く紙なく、案内もなし。

先入店のカップルに「君ら待ってるの?」って聞いたところ

「私たちもどうすればいいのか分からない」の返事。

そこへやっとフロアーの女性がやってきて、

「満席なんですけど、待たれますか、他のお店に行かれますか?」

って聞いてきた。三人して「待ちます!」ムムム 変なやり取り^^





このやり取りラーメン中に他のお客さんにもされていて、

その時のお客さんは出て行かれた。

ラーメンのこと、少し待てば食べられたのに。





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KARA‐1グランプリ優勝でこの店来たけど、

辛すぎたら困るから怖くなって並辛を注文した。




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結果はそれなりに辛いくらいで美味しかった。

じゃ何のためにKARA‐1グランプリ優勝店を選んだのか

よく分からないという世にも不思議なお話^^;



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帰路立ち寄ったRSタイチ京都店で食後のコーヒータイム。




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セロー君、文句も言わずに暑い屋外で主人を眺めるの図。





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by power-shoes | 2018-07-27 21:30 | 幕末維新を訪ねる | Trackback

堺で、ランチと堺事件





和歌浦天満宮の駐輪場から堺市のランチ処へ予約電話完了。

今回も読売新聞「幸せランチ」からいただいたお店。




阪和道を大阪方面に向かって北上、関空方面JCTで阪和道にお別れして

バイクでは初めて走る海沿い阪神高速4号湾岸線。



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緊張しても写真は撮るブロガー魂^^



都会の高速道路の分岐や立体交差はナビも時に混乱するが、

案の定大浜ICの出口で三つの分岐に瞬時に判断できず、

路肩に寄せてナビ画面と景色の照合タイム、バイクでよかったよ。




その後もどこをどう走ったかナビも何度かコースを修正してくれて

到着しました 本日のランチ処「ジャランジャラン」




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お店の雰囲気はエスニックな感じだがイタリアン。

「看板どけるからここに止めて」と奥さんが軽く行ってくださったが、

頭隠して尻隠さずの駐輪にRTは重かった。




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「ウニクリームパスタ」のランチコースを頼む。

サラダ・スープ・パン付。

良し悪しはお味や店の雰囲気で個人差有なので評価は難しいが、

一つ言えることは駐輪場無し。



腹ごしらえして気持ちを切り替え気合を入れて

午後の部歴史探訪に出かける。





堺事件現場跡。



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1868年1月

鳥羽伏見の戦いでの徳川幕府軍の負けを聞いた徳川慶喜は、

密かに大坂城を抜け出し、天保山より船で江戸へ敵前逃亡した。

その後堺は、新政府軍の土佐藩が治安統治をしていた。


2月フランス海軍の兵士が上陸し土佐藩兵と言葉が通じないこともあり

意思疎通が出来ない中争いとなり、

フランス人水兵11人が死亡する事件が起こった。

これを堺事件といい そしてここがその現場だったのだが、

ビルやバイク(^^;)が視界に入り往時をイメージするのは難しい。




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事件を報告した仏蘭西紙の挿絵(竜馬暗殺から2か月後のこと)





そして、この事件はさらなる凄惨へと展開していく。


と言うことで 向かったのが妙国寺。


で引っ掛かったのがこの看板。



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天神餅 いかにも美味しそうで寄り道。

その場で食後の甘味を一個とお土産を購入。




堺事件、結果的にはどちらが悪かったのかよく分からないまま、

新政府は幕府を倒すのが最優先で外国ともめている場合ではないと

早急な幕引きの為に全面的に非を認め、フランスの要求通り

かかわった20人の土佐藩士の切腹や賠償金を含め諸条件を呑んだ。




e0044657_21575197.jpg


事件発生からわずか8日後 

ここ妙国寺でフランス人立会いのもと処刑が実行された。



始め20人の割腹の予定だったが、

そのあまりの凄惨さに11人が割腹した時点でフランス側から

中止と9人の助命の申し入れがあった。








e0044657_21575606.jpg


11人の墓は近くの宝珠院にあり、

12番目だった土佐藩士は生涯墓守をしたという。




ポチッとよろしく ^^

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e0044657_21580296.jpg

宝珠院は幼稚園の敷地内にあり 事前申し込みをしない限り

土日は敷地内に入れない。

そこで特殊な撮影術を駆使し無事お墓の撮影には成功した。





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by power-shoes | 2018-07-24 22:04 | 幕末維新を訪ねる | Trackback

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