BMW R1200RT100thとおんぶセローでバイクライフと田舎暮らしを楽しむ SAMとhideのぶらぶら日記


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カテゴリ:幕末維新を訪ねる( 10 )

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京都 幕末維新とランチは舞妓さんと




本能寺の変のあった本能寺は堀や塀を持つ防御施設であり、

二条城や御所に近いことから信長はよく利用していた。


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その本能寺跡から北へバイクで2分、

堀川通りを挟んで西側に世界遺産二条城がある。



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年間200万人以上の観光客が訪れる超人気スポット。

今日は本能寺との距離を実感するだけにした。




さて ここから幕末維新探訪

まず向かったのが長州藩邸跡 ところがなかなか見つけられなくて

一旦バイクを止めて足で探そうと木陰にセローを止めたら


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そこが屋敷跡だったの  びっくり!


着物のカップルは演出じゃなくて

結構な数うろうろしていて盗撮しました。

屋敷跡の石碑には関心を示さず。(目的が違うか^^;



長州藩邸跡は現在京都ホテルオオクラが建っているが

その西側の一角で未来を見つめているのが

維新三傑の一人、長州藩士 のちの木戸孝允こと桂小五郎。


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桂小五郎さんとお別れして向かうは本日のわざ飯処

舞妓さんのリクエストで作ったという

「フクヤライス」をいただきに行きます。



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新聞記事の紹介では舞妓さんが三人写ってる 

ということは期待できるかも、一緒に写真の一枚でも^^





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開店前のグリル富久屋さん 12時開店 暫し待ちました。

がしかし 舞妓さん現れず、一人黙々といただいた「フクヤライス」


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腹ごしらえを終え いっきに南へ下ってむかったのが 

名神京都南ICの近く。鳥羽伏見の戦い勃発の地。




1868年1月

ここでの発砲から戊辰戦争が始まった。

龍馬暗殺から50日後の事だった。


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壮絶な戦いの跡、多くの血が流された跡とは

想像もできない平和で静かなたたずまいだった。





ポチッとよろしく ^^

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by power-shoes | 2018-06-18 23:29 | 幕末維新を訪ねる | Trackback

新選組ここに生まれる






蛤御門を後に、京都駅近く七条通りまで南下、京都水族館の建つ

梅小路公園の駐輪場にセローを止めて(2時間無料)

ぺこぺこのお腹で到着したのが 大正よりつづく「麒麟亭」



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読売新聞「幸せランチ」で紹介されていたお店で牛鍋をいただく。




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もっとこってり味かと思っていたが意外とあっさりでスープも全部

飲み干してしまった^^;

ただ、同じ牛鍋が平日だと850円込なのに、週末は1600円込。

この違いは何なんだろ?肉の量もしくは肉の部位が違うのかな? 






この日最後の訪問予定地に向け 再び四条通近くまで北上、

向かったのは壬生。

壬生と言えばここ、新撰組結成の地八木邸、新撰組壬生屯所跡。




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建物手前にあるお店で(和菓子屋)入場料千円を払う。



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この入場料には 見学・生解説・お抹茶とお菓子がついてくる。

とりわけ生解説の芹沢鴨暗殺の下りは臨場感たっぷり。

だって解説を聞いているその部屋で殺されたのだから、

こうして ああして こっちに逃げて三人の落命。

この千円は安い!




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新撰組の名前は最初からあったわけではなく、壬生浪士組として

京都の治安維持にあたっていた。のちにその働きを評価され

上洛から半年後に新たな隊名「新撰組」と名乗るようになる。




身分の低い新撰組の隊士は乱暴者が多く、

とりわけ初代局長の芹沢鴨はひどく、酒乱にして粗暴

たびたび起こす狼藉事件に朝廷から芹沢の逮捕命令がで、

会津藩が芹沢の暗殺を命じたと言われている。(確証はない)





京都での活躍はわずかに4年間(1863~1867)、

鳥羽伏見の戦(1868)以降は新政府軍に追い詰められ、

最後は北海道函館の地で土方歳三の戦死と共に降伏をした

苦難の歴史の新撰組だった。




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八木邸に隣接して壬生寺があり、境内で武術の訓練をしたと伝わる。



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境内から見る門越しのこの景色は、

電信柱以外はきっと当時のままなんだろうな。






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by power-shoes | 2018-03-26 21:18 | 幕末維新を訪ねる | Trackback

歴史に名を遺した門





さっさっさ~と歩いて見学なら15分も、じっくり見て読んで撮った

から1時間たっぷり楽しんで御所を後にした。




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王の館を取り囲む長~い塀 この土塀に要注意!

接近禁止のセンサーが張り巡らされているそうです。





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明日にも開花の梅とその向こうに大文字山。





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駐輪所まで戻ってきたその場所に建つこの門、

歴史に名を刻んだ門 「蛤御門」



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ここでの戦いで多くの若者が命を落とした。

今では何もなかったかのように、

大型バスが観光客を乗せて入ってくる。


禁門の変(蛤御門の変)

幕末1864年、(竜馬暗殺の3年前),長州(山口県)藩兵と幕府との

京都御所付近における戦闘。特に蛤御門口の戦闘は激しく、
結果長州勢は


敗走し、多数の攘夷派志士が戦死した。この時薩摩藩(鹿児島県)は幕府

方として戦っているのだが、のちに坂本竜馬の仲介で薩長同盟を結んでい

る不思議?



門柱や扉に多数残る弾丸の跡。多くの人が触れるので(私も)白くなって

いるところがそれ。



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この時の戦いで、吉田松陰の妹を妻に持つ、松下村塾出身の久坂玄瑞も

亡くなっている(24歳)。

敗走し多くの長州藩士は国に帰ったが、追っ手に抵抗を続けた17名は

天王山にて自爆、その墓が天王山登山道道中にある。


毎度のことながら、当初の見学予定時間はとっくにオーバーしておなか

ペコペコ。  本日のランチ目的地へと急行する。





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by power-shoes | 2018-03-22 21:28 | 幕末維新を訪ねる | Trackback

敬われた王の館




幕末維新のキーワードの一つに尊王攘夷がある。

(天皇を敬い外敵に打ち勝つの意味)

その敬われた王の館を訪れた。つまり京都御所のこと。





御苑の立ち入りは公園のように自由で市民憩いの場なのだが、

御所 つまり天皇の住いの敷地内は以前はそう簡単には入ることが

できなかった。しかし今ではありがたいことに、

通年無料の一般公開と成り、いつでも自由に見学することができる。



乗り物での御苑はその歴史に名を刻む蛤御門から。

車は有料Pへ止めなくてはならないが、二輪は無料。

少々の前下がりでもセローだと安心。

ただし未舗装につき足つきの悪い大型車は要注意。




御所内には清所門から入るのだが、直立不動の婦人警官が警備中につき

写真は撮れず。手荷物チェックと入所札を首から下げれば後は自由に

見学可。もちろんどこかで防犯カメラは動いているのだろうけど、

意外なほどに警備員は少ない。






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立派な建物が多々ある中でも もっとも格式が高い建物が「紫宸殿」



「五箇条の御誓文発布の舞台ともなり、明治、大正、昭和、

三代の天皇の即位礼はこの建物内で執り行われた。」

とパンフレットに書いてあった。




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さすがにこの建物だけは近づくことは許されず、遠くからの見学。






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他にも天皇の日常のお住まいとか立派な建物があるが、

幕末維新の視点で見たかったのが

小御所(こごしょ)… 諸種の儀式が行われたところ。

なにより有名なのが、

慶応3年(1867年)王政復古の大号令が発せられた日の夜、

(竜馬暗殺から24日後)

徳川家の処分について話し合われた「小御所会議」が行われたのがここ。





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で この時に前出の倒幕派の岩倉具視らが、

十五代将軍徳川慶喜を新政府の役員として残すことに断固反対し、

辞職と領地の返上を命ずることを決定した会議。

但しこの建物は当時のものではなく、

昭和29年に花火が原因で焼失し、33年に再建されたもの。



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その 小御所前に広がる御池庭 

見学の外国人たちがしきりにシャッターを切っていた。



外国人じゃないけど、私もシャッターを切った。

春が芽吹いたときの美しさを想像して。








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by power-shoes | 2018-03-19 21:48 | 幕末維新を訪ねる | Trackback

500円札の人に触れてみた






日本初の癌告知、日本初の国葬、享年59歳。

500円札の肖像岩倉具視。

その岩倉具視が政治的背景から命を狙われることになったため、

38歳から蟄居をしいられ、うち3年間を隠れ住んだのが

京都岩倉の集落だった。

その当時の旧宅が今も残ると知り見学に行ってきた。













と その前に腹ごしらえ。

京都府立洛北高校の西側を南北に走る下賀茂本通りを挟んで筋向い。

「カレーうどん」の看板発見。

絶対的先入観として、

高校の近くのカレーうどん屋さん=学生御用達=リーズナブル。

入店してろくにメニューも見ないで

「本日のランチは、キーマカレーうどんのライスとサラダ付です」

の案内に「それしてください」と答えただけ、

絶対的先入観モードのまま。





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おお美味しいね。普通辛でもなかなかの刺激。小ライスに変更したのは

失敗だったな。  なんてことを考えながら、

ご馳走様と1000札一枚を渡し、当たり前のように釣銭を待ったら

返ってきたのが50円玉一個だった。

つまり学生食堂じゃなかったと言うお話。

(大小銀色が三個くらい返ってくるかなと思っていた。

良かったよ~「1000円では足りません」と言われなくて^^;

追記、次回洛北高校に行くときにはまた寄ってみようと思ったお店、

今度は大人モードで。




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洛北高校から北へ車で13分走ると 岩倉具視幽棲旧宅があります。




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その周辺は病院や住宅が立ち並び、

往時をしのばせるような田舎感は無いが、

敷地の中だけは時を忘れたかのような静かな佇まいが今も残されていた。




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幕府が大政奉還をしてから2か月後の1868年1月3日

(竜馬暗殺から24日後)、武力討幕派が天皇をようして

「王政復古の大号令」を発し、新政権の会議を開いた。

これにより、幕府も、摂生や関白などの官職も廃され、

天皇親政の新政府が姿を現した。先頭で行動したのが、

長い蟄居に耐えた下級公家、岩倉具視だった。(山路博信)

夕刊読売新聞―維新の記憶― 1868年 王政復古の大号令 より



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ボランティアガイドさんの説明で

さらにレアな歴史も聞かせたいただいた。



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坂本竜馬、中岡慎太郎、大久保利通の訪問もあったらしいこの座敷で、

この縁側で熱く日本の夜明けを語り合ったのだろうか。




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岩倉抜きに明治維新はなかったと評価されている人物で、

倒幕、明治維新に尽力した維新十傑の一人とされている。



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武士のような武勇伝が残されているわけでもなく、

500円札の肖像でしか知らなかった岩倉具視、

明治新政府になくてはならない人物で有ったこと 

少しかじって初めて知った。



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by power-shoes | 2018-03-13 22:44 | 幕末維新を訪ねる | Trackback

京都木屋町界隈で幕末維新する 土佐藩編



約700年続いた武家政治を平和に終わらせようとする試みが、

土佐藩による大政奉還の建白書だった。

同藩の後藤象二郎が、武力での討幕を狙う薩摩藩と幕府の間で

説得に奔走した。

1867
年、新時代の国づくりを掲げた建白書を幕府に提出し、

大政奉還を実現へと導く。(藤本幸大)

-夕刊読売新聞「維新の記憶」より-




幕末維新ツーリングをするうえでどうしても知っておかなくては

ならない人物の一人に土佐藩政の最高責任者後藤象二郎がいる。



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土佐の殿様山之内容堂に大政奉還(徳川の政権を天皇に返すこと)の

建白書(意見書)を書くように勧め、容堂と共に連署して

幕府に提出している。


その建白書を受け、十五代将軍徳川慶喜は各藩の重臣40人を

京都二条城に招集し意向を伝え大政奉還は成立した。

象二郎29歳 男の気負いは相当なものだったのだろう。



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後藤象二郎と坂本竜馬とは長崎で初めて会談し意気投合、

距離を置いていた竜馬と以後頻繁に会うようになり、

竜馬の脱藩の罪を免じている。



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その象二郎が大政奉還に向け京都で奔走していたころ、

定宿とした醤油商「壷屋」址を訪れた。

ところが古都京都とはいえ河原町三条から四条界隈で当時の

歴史的建物はほとんど残っていないのが現実で、

壺屋址もこの日は工事現場のバリケードの中だった。



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次に向かったのは(グローブをはめるのも面倒な距離)

土佐藩邸址。


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高瀬川のほとりに石碑と駒札がありました。

ざっくりとこの界隈的な。


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次いて これまたヘルメットをかぶるのも面倒な距離にある、

坂本龍馬寓居址の材木商「酢屋」を訪れた。

(何故か材木商なのに酢屋?酢を作っていた歴史は無いとか。)



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ここは珍しく、外観は当時の建物が残っている。

(内装は手が加えてある)



竜馬はここ酢屋を定宿とし海援隊京都本部を置いていた。

向かって左側出格子窓のある二階が竜馬の部屋だったそうだ。



お尋ね者の竜馬は名前を変え酢屋を活動拠点としていたのだが、

ここにも危険が迫ってきたとして河原町通りを挟んだ西側の

近江屋へ移っている。




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京都木屋町界隈は他にも多数の藩邸跡や歴史人物の寓居(仮住まい)

血なまぐさい現場跡が点在している。






京都の幕末維新を楽しんで本日の締めは、東横イン四条大宮店で

開催された「100万人のクラシックライブ」。




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知っていた曲は8曲中3曲で、

襲いくる睡魔との壮絶なる戦いだったが、

至近距離で聞く生演奏の迫力と美しさに途中睡魔も退散。

素敵な午後のひと時だった。



やっぱ なんでも生だね。    

夜のビールは缶だったけど^^;



狭い京都でのセローは実に使い勝手がよろしい。






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by power-shoes | 2018-03-01 21:26 | 幕末維新を訪ねる | Trackback

“せごどん”は何故手のひらを返したのか





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今回の静岡訪問は100名城だけでなく、

大政奉還150周年(正確には151周年)も訪れてみた。


1868年、山岡・西郷会見の地。(竜馬が暗殺された4ケ月後)


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鳥羽・伏見の戦いで勝利した新政府軍の参謀西郷隆盛

(今風に言うと“せごどん”)と徳川家の陸軍総裁勝海舟が遣わせた

山岡鉄舟が江戸城無血開城に向け会見を持った地。


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十五代将軍徳川慶喜の切腹を迫った西郷はこの会見と

江戸で持たれた会談で態度を軟化させ、江戸城総攻撃を中止した。

強硬派の西郷が何故? 今も謎だそうだ。

明治維新史の中でも特筆すべき会談に位置づけられている。




そしてもう一か所の大政奉還は。

徳川最後の将軍・十五代将軍徳川慶喜は大政奉還後、

ここ駿府に移り住み20年間を過ごした。

その住まい跡の料亭浮月楼。



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慶喜が愛した日本庭園がビルの谷間に今も残る。



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西郷が江戸城無血開城に応じていなければ 

東京は全焼、慶喜は切腹。

日本の歴史は変わっていたかもしれな。








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2016年9月に見学した浮月楼

今回見学には行かなかった。






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by power-shoes | 2018-02-15 21:17 | 幕末維新を訪ねる | Trackback

幕末維新スタンプラリー



年末に行った京都の霊山歴史館でこんな小冊子が目に留まった。






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「大政奉還150周年記念 幕末維新スタンプラリー」 



スタンプ好き、歴史好きにとってはこの上ない一冊。

この冬はこれで楽しめるぞ!  と思ったのもつかの間、





大政奉還150周年は2017年のこと、

2018年は明治維新150周年なのである。
 

つまり、このスタンプラリーは終了したのだった。




しかし、スタンプは設置されていなくとも、

完走して景品が当たらなくとも、

この冊子の案内よろしくスタンプポイントの史跡や施設を訪れることは

可能なので幕末の歴史を楽しめることには間違いない。



と言うことで、わくわくの一冊を持ち帰ったということだ。

さて、次は何処を訪ねてみようか。





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by power-shoes | 2018-02-09 20:53 | 幕末維新を訪ねる | Trackback

だから 京都へは行きたくなかったんだ



今をさかのぼること156年前、

1862年京都、徳川幕府は反幕府勢力によって荒れていた

京都の地を鎮圧すため京都守護職を設置する。

(1867年坂本竜馬暗殺の5年前)




この鎮圧役を命じられたのが会津藩主松平容保(かたもり)、

最初の内は何回も断ったそうだが、最後は押し切られて

死を覚悟で承諾したそうだ。

会津若松から、家臣一千人を引き連れ12月24日京都到着。

本陣は黒谷金戒光明寺(くろだにこんかいこうみょうじ)に置かれた。

今回は、そんな歴史の一ページへとセローを走らせた。




京都は良く知っているとはいうものの、最近じゃなんでもナビに頼って

しまって、今回も検索で出てきた目的地を何気なくセットし

忠実に進んだら、こんな道走らせてくれた。



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大型バイクだったらどうするの、セローだから面白いけど^^


なんて呑気なことを思ったのもつかの間、

石畳に出てほっとして見下ろした行く手は階段だった^^;


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地図帳で見れば、その図形から入り口付近をイメージできただろうに。

今では時にナビの間抜けさに翻弄される。






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毎度のことながら、無料駐輪所 バイク冥利に尽きるね。






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山門、1600年の再建だから、会津藩士たちは

ピッカピカのこの門をくぐったのだろうな。






敷地内山手奥に会津藩士の墓。


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ふるさと遠く離れ京の地に骨を埋めた無念。





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黒谷金戒光明寺に本陣を置いた会津藩はそののち

現京都府庁の地に屋敷を移す。

以前にも「容保桜」を一目見ようと訪問したことがあったが、

この日と同じく休日で門が閉ざされていて入ることが出来なかった。

今回も門前にて。







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坂本龍馬を暗殺したと言われる京都見廻り組や

新選組は京都守護職の配下だった。


ほとんどの藩や公家が倒幕派に傾く中、

最後まで徳川幕府側で有り続けた会津藩。

鳥羽・伏見の戦い、戊辰戦争を経て賊軍となり、

後に下北半島へ移住させられてしまった。

「こんなことになるなら 京都守護職なんて受けなければ良かった、

だから京都へは行きたくなかったんだ」

と松平容保は言ったかどうか?

忠義を尽くした会津藩士の悲しい歴史に触れた一日だった。





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by power-shoes | 2018-01-19 23:37 | 幕末維新を訪ねる | Trackback

竜馬暗殺の地


坂本竜馬暗殺の地、近江屋跡へ走ってみた。

もちろん初めてじゃないけれど、新聞記事が目に留まり

大政奉還150周年と言うこともありの久しぶり。

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(訪問日は12月10日)





何度訪れてもそのあまりの歴史の重さに感慨深い場所。

日本の歴史を大きく動かした坂本龍馬という人物がこの地で落命した、

31歳という若さで。

明治の時代に名を残そうとしていなかったらしいが、

もし生き延びていたとしたら、日本はどう変わっていたのだろう。


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道路幅が当時より広くなっているので ちょうどリュックを背負った

男性の位置が暗殺現場の真下になるらしい。




近江屋跡から少し北へ上がって東入る北側に池田屋跡。


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京都の治安維持にあたっていた新選組が一躍世に名前を知らしめた事件。

その事件を解説する掲示板に「旅籠茶屋 池田屋」とあるが

全く歴史とは無関係の食事処。

その歴史を伝えるのは石碑のみ。






この後、清水寺近くの霊山歴史館訪問。


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興味津々の展示物に時間を忘れ楽しんではいたが、

空腹と重いバイクジャケットで立ちっぱなしがさすがに苦になり

集中が切れ、全館体感出来ず、志半ばにして無念のリタイア。

なんと入館から4時間と30分が経過していた。再訪あるのみ。

1時間くらいで満足するのかな程度の展示かと思っていたのが大間違い

だった、失礼しました。



2018年 今年は明治維新150周年 

次回は何処で感慨にふけようか。






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by power-shoes | 2018-01-14 16:00 | 幕末維新を訪ねる | Trackback

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