BMW R1200RT100thとおんぶセローでバイクライフと田舎暮らしを楽しむ SAMとhideのぶらぶら日記


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お多賀さんの糸切り餅





プロ野球 楽天イーグルスの則本投手が

滋賀県出身ということは知っていたが、多賀大社で有名な多賀町出身

だったことはつい先日新聞で知った。

その新聞記事で、

お多賀さん名物「糸切り餅」が好きだと書いてあったので、

「おお、久しぶりに食べたい」と行ってきた。



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お多賀さんで親しまれる多賀大社、

小学校6年生の正月に両親と妹の4人で訪れたのが初めてだった。

もちろん車なんてなくて近江鉄道で。以外と言っては怒られるが

全国規模で信仰の厚い神社だそうです。

なんといっても「大社」ですから・・・?



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神馬ちゃん(くん) さすがは神に仕える身 微動だにしません^^



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鳥居前の太鼓橋 豊臣秀吉が寄進したので「太閤橋」と呼ばれている。

ただしこの橋は当時のものでない。



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お多賀さん名物「糸切り餅」 柔らかいお餅にあさりのこしあん

食べ始めたら止まらない。

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多賀やHPより




神社前の通りに面して三軒ほどのお店がこのお餅を販売しているが、

則本投手は「多賀や」さんのが好きだと書いてあったので

多賀やさんのにした^^;


但し、なんでもそうだが、どこのが美味しいかは個人の好み、

一応元祖と総本家と本家あり^^





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多賀やHPより



糸切り餅の名前の由来は糸で餅を切るから(そのまんまやけど)

多賀大社は、生命を司る神様だそうで、その神様にお供えするお餅、

だから刃物は使わないのだとか。



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お多賀さんを後にして、向かったのは酒造会社岡村本店。

何やら梅の実酵母で純米吟醸酒を開発したとか。

香りさわやか軽い口当たりの甘口だとか。

ワイン感覚で飲めるのかなと豊郷町へ。



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ところが なななんと本日お休み~!   ああ~

今宵は日本酒の口だったのに。またの機会にしましょう。




さあ午後はレークスターズ 年に一度の彦根開催GAME2 

GAME
1勝利の余勢をかってこの日も勝利~   

を期待したのだが・・・。

B
1残留に向け必死のパッチの試合が続く。



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by power-shoes | 2018-03-30 22:22 | 日記 | Trackback

新選組ここに生まれる






蛤御門を後に、京都駅近く七条通りまで南下、京都水族館の建つ

梅小路公園の駐輪場にセローを止めて(2時間無料)

ぺこぺこのお腹で到着したのが 大正よりつづく「麒麟亭」



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読売新聞「幸せランチ」で紹介されていたお店で牛鍋をいただく。




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もっとこってり味かと思っていたが意外とあっさりでスープも全部

飲み干してしまった^^;

ただ、同じ牛鍋が平日だと850円込なのに、週末は1600円込。

この違いは何なんだろ?肉の量もしくは肉の部位が違うのかな? 






この日最後の訪問予定地に向け 再び四条通近くまで北上、

向かったのは壬生。

壬生と言えばここ、新撰組結成の地八木邸、新撰組壬生屯所跡。




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建物手前にあるお店で(和菓子屋)入場料千円を払う。



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この入場料には 見学・生解説・お抹茶とお菓子がついてくる。

とりわけ生解説の芹沢鴨暗殺の下りは臨場感たっぷり。

だって解説を聞いているその部屋で殺されたのだから、

こうして ああして こっちに逃げて三人の落命。

この千円は安い!




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新撰組の名前は最初からあったわけではなく、壬生浪士組として

京都の治安維持にあたっていた。のちにその働きを評価され

上洛から半年後に新たな隊名「新撰組」と名乗るようになる。




身分の低い新撰組の隊士は乱暴者が多く、

とりわけ初代局長の芹沢鴨はひどく、酒乱にして粗暴

たびたび起こす狼藉事件に朝廷から芹沢の逮捕命令がで、

会津藩が芹沢の暗殺を命じたと言われている。(確証はない)





京都での活躍はわずかに4年間(1863~1867)、

鳥羽伏見の戦(1868)以降は新政府軍に追い詰められ、

最後は北海道函館の地で土方歳三の戦死と共に降伏をした

苦難の歴史の新撰組だった。




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八木邸に隣接して壬生寺があり、境内で武術の訓練をしたと伝わる。



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境内から見る門越しのこの景色は、

電信柱以外はきっと当時のままなんだろうな。






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by power-shoes | 2018-03-26 21:18 | 幕末維新を訪ねる | Trackback

歴史に名を遺した門





さっさっさ~と歩いて見学なら15分も、じっくり見て読んで撮った

から1時間たっぷり楽しんで御所を後にした。




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王の館を取り囲む長~い塀 この土塀に要注意!

接近禁止のセンサーが張り巡らされているそうです。





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明日にも開花の梅とその向こうに大文字山。





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駐輪所まで戻ってきたその場所に建つこの門、

歴史に名を刻んだ門 「蛤御門」



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ここでの戦いで多くの若者が命を落とした。

今では何もなかったかのように、

大型バスが観光客を乗せて入ってくる。


禁門の変(蛤御門の変)

幕末1864年、(竜馬暗殺の3年前),長州(山口県)藩兵と幕府との

京都御所付近における戦闘。特に蛤御門口の戦闘は激しく、
結果長州勢は


敗走し、多数の攘夷派志士が戦死した。この時薩摩藩(鹿児島県)は幕府

方として戦っているのだが、のちに坂本竜馬の仲介で薩長同盟を結んでい

る不思議?



門柱や扉に多数残る弾丸の跡。多くの人が触れるので(私も)白くなって

いるところがそれ。



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この時の戦いで、吉田松陰の妹を妻に持つ、松下村塾出身の久坂玄瑞も

亡くなっている(24歳)。

敗走し多くの長州藩士は国に帰ったが、追っ手に抵抗を続けた17名は

天王山にて自爆、その墓が天王山登山道道中にある。


毎度のことながら、当初の見学予定時間はとっくにオーバーしておなか

ペコペコ。  本日のランチ目的地へと急行する。





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by power-shoes | 2018-03-22 21:28 | 幕末維新を訪ねる | Trackback

敬われた王の館




幕末維新のキーワードの一つに尊王攘夷がある。

(天皇を敬い外敵に打ち勝つの意味)

その敬われた王の館を訪れた。つまり京都御所のこと。





御苑の立ち入りは公園のように自由で市民憩いの場なのだが、

御所 つまり天皇の住いの敷地内は以前はそう簡単には入ることが

できなかった。しかし今ではありがたいことに、

通年無料の一般公開と成り、いつでも自由に見学することができる。



乗り物での御苑はその歴史に名を刻む蛤御門から。

車は有料Pへ止めなくてはならないが、二輪は無料。

少々の前下がりでもセローだと安心。

ただし未舗装につき足つきの悪い大型車は要注意。




御所内には清所門から入るのだが、直立不動の婦人警官が警備中につき

写真は撮れず。手荷物チェックと入所札を首から下げれば後は自由に

見学可。もちろんどこかで防犯カメラは動いているのだろうけど、

意外なほどに警備員は少ない。






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立派な建物が多々ある中でも もっとも格式が高い建物が「紫宸殿」



「五箇条の御誓文発布の舞台ともなり、明治、大正、昭和、

三代の天皇の即位礼はこの建物内で執り行われた。」

とパンフレットに書いてあった。




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さすがにこの建物だけは近づくことは許されず、遠くからの見学。






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他にも天皇の日常のお住まいとか立派な建物があるが、

幕末維新の視点で見たかったのが

小御所(こごしょ)… 諸種の儀式が行われたところ。

なにより有名なのが、

慶応3年(1867年)王政復古の大号令が発せられた日の夜、

(竜馬暗殺から24日後)

徳川家の処分について話し合われた「小御所会議」が行われたのがここ。





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で この時に前出の倒幕派の岩倉具視らが、

十五代将軍徳川慶喜を新政府の役員として残すことに断固反対し、

辞職と領地の返上を命ずることを決定した会議。

但しこの建物は当時のものではなく、

昭和29年に花火が原因で焼失し、33年に再建されたもの。



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その 小御所前に広がる御池庭 

見学の外国人たちがしきりにシャッターを切っていた。



外国人じゃないけど、私もシャッターを切った。

春が芽吹いたときの美しさを想像して。








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by power-shoes | 2018-03-19 21:48 | 幕末維新を訪ねる | Trackback

500円札の人に触れてみた






日本初の癌告知、日本初の国葬、享年59歳。

500円札の肖像岩倉具視。

その岩倉具視が政治的背景から命を狙われることになったため、

38歳から蟄居をしいられ、うち3年間を隠れ住んだのが

京都岩倉の集落だった。

その当時の旧宅が今も残ると知り見学に行ってきた。













と その前に腹ごしらえ。

京都府立洛北高校の西側を南北に走る下賀茂本通りを挟んで筋向い。

「カレーうどん」の看板発見。

絶対的先入観として、

高校の近くのカレーうどん屋さん=学生御用達=リーズナブル。

入店してろくにメニューも見ないで

「本日のランチは、キーマカレーうどんのライスとサラダ付です」

の案内に「それしてください」と答えただけ、

絶対的先入観モードのまま。





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おお美味しいね。普通辛でもなかなかの刺激。小ライスに変更したのは

失敗だったな。  なんてことを考えながら、

ご馳走様と1000札一枚を渡し、当たり前のように釣銭を待ったら

返ってきたのが50円玉一個だった。

つまり学生食堂じゃなかったと言うお話。

(大小銀色が三個くらい返ってくるかなと思っていた。

良かったよ~「1000円では足りません」と言われなくて^^;

追記、次回洛北高校に行くときにはまた寄ってみようと思ったお店、

今度は大人モードで。




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洛北高校から北へ車で13分走ると 岩倉具視幽棲旧宅があります。




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その周辺は病院や住宅が立ち並び、

往時をしのばせるような田舎感は無いが、

敷地の中だけは時を忘れたかのような静かな佇まいが今も残されていた。




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幕府が大政奉還をしてから2か月後の1868年1月3日

(竜馬暗殺から24日後)、武力討幕派が天皇をようして

「王政復古の大号令」を発し、新政権の会議を開いた。

これにより、幕府も、摂生や関白などの官職も廃され、

天皇親政の新政府が姿を現した。先頭で行動したのが、

長い蟄居に耐えた下級公家、岩倉具視だった。(山路博信)

夕刊読売新聞―維新の記憶― 1868年 王政復古の大号令 より



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ボランティアガイドさんの説明で

さらにレアな歴史も聞かせたいただいた。



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坂本竜馬、中岡慎太郎、大久保利通の訪問もあったらしいこの座敷で、

この縁側で熱く日本の夜明けを語り合ったのだろうか。




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岩倉抜きに明治維新はなかったと評価されている人物で、

倒幕、明治維新に尽力した維新十傑の一人とされている。



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武士のような武勇伝が残されているわけでもなく、

500円札の肖像でしか知らなかった岩倉具視、

明治新政府になくてはならない人物で有ったこと 

少しかじって初めて知った。



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by power-shoes | 2018-03-13 22:44 | 幕末維新を訪ねる | Trackback

恋に疲れたわけではないけれど 男一人行ってきた





♪京都大原三千院 恋に疲れた女がひとり~♪ で始まる 

デューク・エイセスが唄った「女ひとり」

この歌の三番で♪京都嵐山大覚寺♪と唄われる大覚寺に行ってきた。



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佛教大学附属幼稚園から歩いて13分の距離 

近くの高校野球部が走る畑の中を通り抜け到着。

毎年この時期二人で佛教大学附属幼稚園に来ていたのに、

一度も訪れなかった大覚寺。

やっぱり歌詞通り、一人じゃないと来れないところだったのかな

(
男だけど^^;)



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大覚寺は、嵯峨天皇の離宮を寺に改めた皇室ゆかりの寺院。

なぜ 恋に疲れた女がやってくるところなのか分からないが、

さすがは天皇の別荘。

(どう“さすが”なのかはうまく表現できないけれど、

とにかく広くて立派^^;




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とはいうもののこの場所、今でも畑と田んぼが取り巻く環境、

当時(800年頃)は間違いなく獣しかいなかったはず。

よくもまあこんな辺ぴなところに。



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多くの建物を鴬張りの回廊が迷路のようにつなぎ、

回遊しながら数多くの障壁画が観賞できる。



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外に広がる大沢池に船を浮かべて月見る夜の贅沢は

これまたさすがの貴族の風流。



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♪塩沢がすりに名古屋帯 耳をすませば滝の音

京都嵐山大覚寺 恋につかれた女がひとり♪





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大覚寺を見学し終わったころすでに1時前だったのだが、

どうしてもランチしたかったハンバーグへと足が向き、

やって来たのが「手作りハンバーグ とくら」さん。



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土曜日の人気店につき並ぶのは覚悟のうえとはいうものの、

1時半到着だからもしかして          は甘かった。 

待つこと30分(意外と回転早い)事前に注文しておいた

「オリジナル180g」もすんなり出てきて、

ふわふわジューシーに舌鼓。次回は「おろし」にしよう^^




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京の土曜の昼下がり、

いいお天気だけど今日はこれにて帰ることにしましょうか。







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by power-shoes | 2018-03-07 20:33 | 日記 | Trackback

京都木屋町界隈で幕末維新する 土佐藩編



約700年続いた武家政治を平和に終わらせようとする試みが、

土佐藩による大政奉還の建白書だった。

同藩の後藤象二郎が、武力での討幕を狙う薩摩藩と幕府の間で

説得に奔走した。

1867
年、新時代の国づくりを掲げた建白書を幕府に提出し、

大政奉還を実現へと導く。(藤本幸大)

-夕刊読売新聞「維新の記憶」より-




幕末維新ツーリングをするうえでどうしても知っておかなくては

ならない人物の一人に土佐藩政の最高責任者後藤象二郎がいる。



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土佐の殿様山之内容堂に大政奉還(徳川の政権を天皇に返すこと)の

建白書(意見書)を書くように勧め、容堂と共に連署して

幕府に提出している。


その建白書を受け、十五代将軍徳川慶喜は各藩の重臣40人を

京都二条城に招集し意向を伝え大政奉還は成立した。

象二郎29歳 男の気負いは相当なものだったのだろう。



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後藤象二郎と坂本竜馬とは長崎で初めて会談し意気投合、

距離を置いていた竜馬と以後頻繁に会うようになり、

竜馬の脱藩の罪を免じている。



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その象二郎が大政奉還に向け京都で奔走していたころ、

定宿とした醤油商「壷屋」址を訪れた。

ところが古都京都とはいえ河原町三条から四条界隈で当時の

歴史的建物はほとんど残っていないのが現実で、

壺屋址もこの日は工事現場のバリケードの中だった。



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次に向かったのは(グローブをはめるのも面倒な距離)

土佐藩邸址。


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高瀬川のほとりに石碑と駒札がありました。

ざっくりとこの界隈的な。


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次いて これまたヘルメットをかぶるのも面倒な距離にある、

坂本龍馬寓居址の材木商「酢屋」を訪れた。

(何故か材木商なのに酢屋?酢を作っていた歴史は無いとか。)



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ここは珍しく、外観は当時の建物が残っている。

(内装は手が加えてある)



竜馬はここ酢屋を定宿とし海援隊京都本部を置いていた。

向かって左側出格子窓のある二階が竜馬の部屋だったそうだ。



お尋ね者の竜馬は名前を変え酢屋を活動拠点としていたのだが、

ここにも危険が迫ってきたとして河原町通りを挟んだ西側の

近江屋へ移っている。




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京都木屋町界隈は他にも多数の藩邸跡や歴史人物の寓居(仮住まい)

血なまぐさい現場跡が点在している。






京都の幕末維新を楽しんで本日の締めは、東横イン四条大宮店で

開催された「100万人のクラシックライブ」。




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知っていた曲は8曲中3曲で、

襲いくる睡魔との壮絶なる戦いだったが、

至近距離で聞く生演奏の迫力と美しさに途中睡魔も退散。

素敵な午後のひと時だった。



やっぱ なんでも生だね。    

夜のビールは缶だったけど^^;



狭い京都でのセローは実に使い勝手がよろしい。






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by power-shoes | 2018-03-01 21:26 | 幕末維新を訪ねる | Trackback

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